こんにちは!cokeです。
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クリスマス・新年といかがお過ごしでしょうか?
年末は日本に帰りたかったのですが、色々バタバタしていて帰れず、クリスマスと年越しはドイツでした。
クリスマス前後ははドイツ人家族の元で過ごさせてもらい、年越しはほぼ一人、時々友達と一緒に過ごし、新居の住み心地をよくすることに時間を使っていましたが、それなりに暇もあったので2017年の振り返りと2018年へ向けての気持ちの整理をすることができました。
ブログも全然書けていませんが、書きたいテーマは募るばかりです。
というのも未だにネットが家にないのです。
ネットからわずかながら収入を得ている学生ですので、本当にきついです。色々調べながら記事を書くことが多いので、ネットがないと何も捗らない。。ネットの偉大さを嫌という程感じています。
それでは振り返りから行きましょーう!
総括するとかなり色々あった1年だった
2017年色々ありました。
月ごとに振り返ってみましょう。
1月 ここは特に何もなかったですが、卒業論文執筆とドイツ語のテストを東京まで受けに行ってたくらいで、それなりに遊んでました。あと最初に住んでたライプツィヒのWG はskypeながら楽々と決まってしまったり。
2月 高専卒業がほぼ決まり、ドイツの大学進学のための準備をやってました。住民票抜いたり、病院行ったり、ビザ関連の準備したり。
3月 高専の卒業式さえすっ飛ばして、ドイツに引っ越し。B2のコースからはじめました。オーストリアのウィーンも行ったり。
4月 それなりに順調にドイツの生活は進んで、後半にはB2のテストに無事合格。
5月 ベルリンのクラブではしゃいだり、クロアチアのテクノフェスに行ったり、結構テクノパーティ三昧でした。何やってんだか。
6月 ドイツ大学出願において非常に重要な試験DSHに向けて勉強、同時に複数の大学に出願をはじめていました。6月最後に無事DSHでドイツの大学入学基準レベルを満たす成績を取ることができ安心。
7月 15日までに出願を終わらせなければならなかったので、ひたすら走り回る日々。出願を終えて時間があったので友達に会いにブダペスト・プラハへ急遽旅行
8月 僕のスイス留学時代のホストマザーが実の母親をスイスに招待してくれたため、母親・ホストマザー・ホストブラザーとスイス旅行。本当にいい時間が過ごせたし、自分がスイスで何を経験していたのかを少しながら見せられたのは喜び
9月 8月から徐々に出願していたいた大学たちから入学許可を受けたが、いける気満々でいたベルリンの大学からはなかなか連絡がこない、7日から日本に一時帰国する予定をたててしまったため、本命ではない学部でしたがベルリンの大学から入学許可が出た時点で家探しをはじめ、何とか1週間で12月まで住めるWGを見つける。3回ベルリン行った笑 希望の学部らも入学許可もらえ、日本に一時帰国。紅白出るような歌手のMV撮影の現場に協力できたりと、いろんなもの見させてもらう。
10月 ベルリンの大学はじまる。分からないことだらけだったけれど、何とかわかってくる。けどドイツ語分からない病を発症。
11月 もっぱら12月から長期で住める家探し。12月まであと1週間という状況でも物件が見つからず、本当に精神的にやられる。そして何とか見つける。
12月 管理会社のミスで入居が12/6からじゃないとできなくなったので、6日間友達の家に居候。引っ越しの際、レンタカーをして荷物を運ぶも友達が他人の車にバックでツッコみ、凹ませたため、人生初警察を自分で呼ぶ。(特に問題はなし)
こんな感じです。感覚的には6月まではなんだかんだ言ってイージー、そっからはハードモードって感じでしたね。
前半に6年間所属していた高専を卒業し、企業や学校どこにも所属しない立場になっていました。
周りの人からは「進路が確定していない中卒業してドイツに行くって、、大学行けなかったらどうするの。」と心配されていたようですが、当事者は「結構な確率で大学入学はできる」自信があったのでキョトンとしてました。
その謎な根拠のない自信は見事に的中し、6月まではかなり順調でした。
期待しすぎは自分を苦しめるだけってことを学んだ
後半は相当きつい部分もあったのですが、そこから学んだこともありました。
7月からは個人的に終始イライラしてたんじゃないかなあ。。本当に身近な人にぶつかりまくってすみません。もっと大人にならなければと常々感じております。
まあドイツのお役所関連や契約関連からくるストレスが原因です。
「自分が好きでドイツに行ったんだから、そんなこと言うなよ」と言われればおしまいですが、未熟だった僕はなぜかそれにキレてました。(あ、でもドイツいいところたくさんありますよ、総合的にみて僕はドイツはポジティブな方に分類されのでここで大学生しています!)
何が一番のストレスだったかと言うと
ちゃんとこっちは完璧に準備しても、自分がコントロールできないところで問題がありすぎる
ってことです。
思い返せば去年まで、テスト勉強にしろ、バイトや仕事にしろ(人間関係が入ってくると別かもしれませんが)自分次第で自分が満足いける方向に持ってけるものに囲まれて生活していました。
成績でいける学校の選択肢が狭まる恐怖(ストレス)があれば、勉強すれば良いし。ちょっと高い欲しいものがあればバイトをしてそれをやりつつ稼いだお金を例えば転売とかに回せば一気に50万くらい貯めることは可能です。(0円から10万円稼ぐよりも20万を使って30万にするって方が簡単ですし)
要は自分次第で変更できたことが今まで多かったんですよね。
でもドイツ2017年後半生活は違いました。
そもそもドイツの大学出願で使うUni-assistは「出願者が統一のプラットフォームで全てを管理できるようにして出願者・大学の双方が行わなければいけなかった仕事を減らす」ってことが目的なのに、大学毎にいちいちネットで送信した出願書をプリントアウトしてサインして送らなければならないとか。(オランダは全部オンライン上で完結し、郵送とかしなくても良いとか聞いてもう発狂)
やっとの事で、入学制限がある希望学部から入学許可が出て、送付された案内に書いてある全ての書類を完璧に揃えて提出しても、「そもそも送った書類がEU内出身のインターナショナル生用」だったとか。(その書類にはなんもそんなこと明記されていない)それで10月から使えるはずだったセメスターチケット(交通券)が使えなくなり、学生証紛失時とかにもらえる臨時の交通券発行手続きをしなければならなかったり。
運転免許証を書き換え途中にライプツィヒからベルリンに引っ越したため、その免許証をベルリンに発送してくれないかと電話して、「はい、おっけー。明日発送しますねー」って話をしたのに、2回もそれを放置されるとか。そもそもこれベルリンに引っ越すまでに終わる予定だったし。
家探しもやっとのやっとで決まったと思ったら、管理会社との連絡ミスで入居日伸ばせませんか。とか。こっちは12月から住む家がないんじゃい。(友達の家に居候することで解決)
あげればもっと出てきます。愚痴ってもなんも出てこないし、なんとか全て解決させた話なので、これ以降知りたい方は個人的にでも。笑
1年間スイスに高校留学していたし、こっち来る前も夏休みを使って一人でベルリンに2ヶ月滞在してみたりして、なんだかんだいけるなーって思っていたそのチョコレートみたいに甘い考えは、こっちに「住む」ってなった時にぶちのめされました。
そんな状況に常日頃ぶち当るのですが、対処法は「底抜けに楽観的で、まあなんとかなるじゃん。」とどっしり構えるか「お前、こっちはちゃんとやってるんだから、はよ処理してくれないと困るんだが」と攻めの姿勢を精一杯出すってことです。どちらにしてもとにかく電話するのが早いですね。
おかげさまでドイツ語の自信がより付きました。笑
でもこれは本当に時と場合により臨機応変に姿を変えていかなければならないです。
キレるとピシっと仕事終わらせてくれる担当者がいれば、キレると逆ギレしてくる担当者もいる(キレると言ってもそこまでではないですよ笑)
逆に「何もわかんなくて困ってるんです〜(上目遣い)」みたいな感じで行くとちょー親切にやってくれる人もいるんです。
そもそもこんなこと考えなくてもある程度スムーズに事務処理が進んでしまう日本はすごく良いなと思ったり。
でもどちらの場合も「期待すぎないこと」が大切だとよーく学べました。
「これだけちゃんと揃えたんだから」・「ここまでこまめに連絡して、すぐに必要だということを伝えているんだから」と「〇〇だから〇〇してね」っていう態度は結果としてストレス貯めます。
うまくのらりくらりと行きていかなければと思った次第でした。
色々あったなあ。
とりあえず振り返りは以上。