スイスへの高校留学が今の自分に与えた影響はでかかった

こんにちは!cokeです。

題名の通り、私高校(高専)時代にスイスに1年間留学していまして、そこでの経験がその後の選択に相当な影響を与えてくれました。

最近、偶然知り合った人たちが(ドイツ人・スイス人ですが)、僕と同じようなプログラムで高校時代、1年海外に留学した経験があり、1時間くらい高校留学の思い出についてビールを飲みながら語っていたわけです。

そしたら、なんかムッチャあの当時のことを思い出してきてしまってですね。留学の時聴きまくっていたowl cityのアルバムなんかを聴き始めてもういろんなことがフラッシュバックしてきたわけです。

と同時に、以前記事作成の依頼を受けてお仕事させていただいた、留学をサポートしているEF Japanの担当者様から、ちょっとこのコンテスト応募してみてくださいよ!とお誘いを受けていたことを思い出して、この記事を書くことにしました。

もちろんもう6年も前の高校留学なので、いろんな思い出が美化されていると思いますが、できる限りリアルな感情を思い出しました。当時、ほぼみんなfacebook使っていたので、こういう時便利だよねー。タグ付けされた写真見ればいろんなこと一発で思い出しちゃう。

スイスに行く前の自分

スイスに行く前、少なくとも中学卒業までは、「ザ・普通」の人間だったと思います。もうちょっと突っ込んでいうならば、普通でありたくないと思っていた普通の人と言えるでしょう。

中学時代は、どちらかというと優等生キャラで、成績もそれなりに良くて、部活の部長もやって、塾にも行ってって今こんな髪が長くてダラーんとしている自分とは大違いでした。

今思い返すと頑張って日本社会に適応していたのかな。

当時一緒にいた人たちは横浜の進学校に進み、早慶とかにみんな行っているので、自分もそのままストレートに進んで早慶とか行って楽しい大学生活送って、それなりに名の知れた企業に新卒で就職なんてことは全然あり得たと思います。

でも、中学卒業時に横浜から名古屋に引っ越すことになってですね、止むを得ず「高専に進学」という選択をしたわけです。

通っていた豊田高専は、なぜか毎年30-40人ほど留学行く人がいるユニークな学校でして、前述の通り、ちょっと普通でありたくないけど普通の人だった僕は、すぐに「行きたい!」と手をあげて「スイス」に行くことになりました。

留学が決まった時は、旅行で一度マレーシアに行ったことある程度、英語なんて話せないよって状況でした。

スイスは英語圏ではありませんが、英語はみんな話せるみたいなことをどこかで聞いていたので、英語だけはまず勉強しようと、他の高校に交換留学できていたオーストラリア人の女の子を紹介してもらったり。その子はすぐに帰ってしまったけど、しばらくSkypeとかしながら英語勉強していました。彼女が外国人の初めての友達と言える人でしたね。今でもちょくちょく連絡取ってます。

そんな感じで、当時の自分なりにできること頑張ってました。

スイス生活の始まり

そしてついにスイスの留学が始まるわけです。いやー、もう空港でテンション上がってるし、飛行機から見えるスイスの景色から「ウオーー、ヨーロッパだーー」ってなってましたね。

空港で1年間お世話になるホストファミリーと出会いました。なんというかあの時の緊張感とか高揚感は今でも全然思い出せます。空港から車で1時間ちょいの所に住んでいるホストファミリーの家についたら、ちょうど18時くらいだったので早速家のガーデンでバーベキューです。

家も広いし、庭もむちゃくちゃ広いんです。当時は家の片隅に二匹の子ブタがいましたからね。ホストペアレンツがどちらも獣医で動物病院も経営している人たちだったので、職業柄動物大好きで、いろんな動物が家にいるわけです。犬2匹、猫2匹、亀10匹、豚2匹いました、なんならこの前スイスに行った時はキツネがほぼ住んでる状態でした。

言葉も全然わかんないし、これから1年間ここにお世話になるんだっていう不思議な感覚と共に、「気を使わなくていいよ」と言ってくれてたけどそりゃ気使ってしまうし、時差ぼけもあるしって感じで、なぜかソファでリビングの寝落ちをした1日目でした笑

ちょっと犬の散歩ということで外に出ればこんな景色が広がってるし、

最初の週末にはちょっと車で山へハイキングしにいって、こんな景色がブワーって広がってるし、まじハイジですね。

世界各国からくるいろんな留学生の人とも交流したり、

通っていた現地の学校の生徒にも恵まれました。今思えばみんな17才とかなので、なんというか社交辞令みたいなのが大人よりも少なくて、今よりもストレートにそして濃く関われました。その分なんか深読みしてしまって傷ついたと思うことあったけれど。留学終盤に行ったスイスイタリア語圏へのクラス旅行楽しかった。自転車で山を上から下までサーーーーっと駆け下りるのです。

何を隠そうスイスはお金持ちの国・そして物価が高い国として有名ですね。ホストファミリーも例外ではなく、僕が留学していた春休みには、中東オマーンに行きました。スキューバダイビングをして、ビーチバレーをして、ハイキングにも行って、いわゆる中東の宮殿みたいな文化遺産もみてって最高でした。

ホストファミリー特にホストマザーはむちゃくちゃ多忙なのにも関わらず、言葉もそこまでままならない自分と積極的にコミュニケーションを取ってくれて、今でもちょくちょく連絡取ったり、スイスに行く関係を築けています。

スイス、ほんと楽しかったし、いろんな人に恵まれました。

その当時の自分なりに考えさせられることもたくさんあった

とここまで良いところばかりあげていましたが、全てが問題なしに進んでいる訳ではありませんでした。

やっぱ語学の問題は大きいです。初めの1ヶ月全然ドイツ語が伸びなくて、ホストファミリーに心配され、一度だけホストファミリーを変えたいか?と聞かれたことがあります。

当時はあんまりよくわかってなかったんですが、どうやらドイツ語力が伸びないのをどこかホストファミリーの環境に責任があるのでは?とホストファミリーが思っての質問だったそうです。

僕がいたスイスの地域ではドイツ語がメインで話されていますが、とても方言が強くスイスドイツ語と別の言語にカテゴライズされることがあるくらいのものが日常で使われてます。日本から持ってきた本とかインターネットでドイツ語勉強するけど、実際日常生活で聞けるのは全く別のドイツ語っていうギャップが結構きつかったです。

言語的に日常生活でアウトプットができなくなってくると、自分の中でいろんなことを考え始めます。留学は一見キラキラ見えるかもしれないけれで、孤独な時間も多くあってその時間がまさにここ。

確かに孤独な時間は楽しいものではなかっですが、決してネガティブなものではなくて、ここでじっくりと自分のことについて・将来のことについて・いろんな可能性について考えれたのは大きかったです。

その後の選択に与えた影響

スイスの留学がなかったら今ドイツ留学していない!と言い切れるぐらいですから、スイスの留学はものすごい大きな影響をその後の選択に及ぼしています。

単純に日本じゃなくてもいつでも遊びにいける場所ができたってことと、全然違う文化に住むっていう選択肢を知れたのがものすごい大きかったです。

ドイツ語圏と日本を比べれば良いところも悪いところもたくさんあります。でも自分が住む場所っていうのは主観的な観点から決定するわけですから、何が自分にとって重要で(たとえ一般的に悪くても)自分的にはそこまで必須ではないな。みたいな優先順位を決定していく必要があります。それをする上で若いなりに選択肢が1つ増えてたのはとても貴重な経験だったなと。

そして先ほどあげた「1人で考える時間」とその時の考えもその後の選択にものすごい影響を与えてくれています。

まずはマインドセットに関しての変化が顕著に現れました。例えば、日本だと英語がちょっとでも話せると「すごい!」ってなりますが、スイスの特に僕の周りの同世代は「ドイツ語・英語・フランス語+α」話せる人なんかざらにいます。

どんどんグローバル化が進んでいくとわかっている状況でこの状況に飛び込んでそれがスタンダードだよっていう環境に身をおくと、また見えてくる世界が全然違います。このことが良いか悪いかは個人差ですが、ドイツにくるって決めた時点ですでにマインドセットを持ってることで助けられた部分はあったのかなあって。

結果として今ドイツで色々苦労しながらも、楽しめているのでこういう選択肢をするきっかけになったスイス留学今思い返しても良い経験だったなあと思います。

それでは!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。
コメントは運営者の承認後公開されるため、反映までに時間がかかることがあります。

CAPTCHA