高専を卒業しました。6年間を振り返ってみる第3弾

どうもcokeです。

高専生活を振り返ってみるシリーズ第三弾の始まりです。
第一弾と第二弾はこちら飛べます。
第一弾
第二弾

高専一年生

さてさて入学が決まり、愛知県へ引っ越し、そのまま豊田高専の中にある学生寮に入寮しました。

ほとんどの1年生が入寮していましたが、規模が大きく合計3つの棟そして12のグループ(フロア)に分かれていたので、最初のクラスルームまでクラスメートが誰なのかは良く分かりませんでした。

入学式を終え、自己紹介がクラスで始まります。

そこでの本当に正直な感想は、

「や、やばい。この雰囲気本当に無理かも。。」です。

なんせ自己紹介で、(ほとんどお互いのこと知らないのにもかかわらず)
「3次元興味なくて、2次元が大好きです!!!」
「好きなアニメは、○○○です(少なくともゴールデンで流れているものではない」
「デュフフフ。。。」

とか言うやつが普通にいるからです。

こんな感じのことを言ったやつが約40人中5人くらいいて、それを聞いた時に笑っている人が40人中30人くらいいたので、(ほか10人程度は私と同じく真顔)もうこれは5年間やっていけるかなと不安に駆られた記憶がしっかりあります。

あと横浜の中学とノリが違いすぎるのも問題でした。みんなが面白そうにしていることが何も面白くないんです。

そこで、かねてより希望していた留学に一番乗りで行きたい!と手をあげました。

豊田高専はAFSとYFUという留学団体を通した異文化交流留学を推奨しており、年間30人くらいの2・3年生が約1年間の留学に行きます。派遣先は本当に様々で、アフリカのぞいた世界中です。笑

基本的に、1年生の時に出願し合格できたら2年生で留学、2年生の時に出願したら3年生に行くという感じになります。
非英語圏を選んだ理由はこちら。
僕は1年生の夏にテストを受け、なんとなくイメージが良かったということで希望したドイツに留学できることになりました。
でも、冬にドイツ側から「ギリシャ危機で経済状況が悪く、無償でホストファミリーを探すの難しくなったから日本からの留学生の人数減らしてくれね。」(ざっくり言うと)

と言うことで、ドイツに行けなくなりました。

そんなこんなで変更になった留学先がスイスです。

それからはというものの、どうせ留学に行くから、留学に行ってから頑張れば良い、的な良くない発想になってきて、学校の勉強も本当に最低限しかしていませんでした。

始まった留学生活inスイス(2年生)

そんなこんなで肝心のドイツ語もそこまで勉強せずに始まった留学。

かろうじて英語は日本でやっておいたので、スイスで知り合った留学生とはそれなりにコミュニケーションを取れました。

ホストファミリーや学校の友達にも恵まれて、なんとなく楽しいって気持ちがあったのですが、それでもドイツ語が本当にできなかったんですよね。特にスイスのドイツ語は、公式のドイツ語からはかけ離れているって言うのもあると思いますが、最初の3が月は本当にできなかった。みんなが言ってること理解したい。ということで真剣にドイツ語の勉強を始めました。結局、最後までスイスドイツ語を良く理解することはできませんでしたが、ちょっとずつそれなりの話ができてくるようになると、いろいろなことがわかって来ました。

僕はスイスの高校に通っていましたがまず、スイスで高校に通えるって言うのは一種のステータスでエリートの証だと言うことです。特に僕の学校には学力とかじゃはかれない(当時の自分にとっては)すごい奴が何人かいました。

・バンドを組んでスイスのトップオブヤングバンドに上り詰めたやつ。

・そのバンドをプロモーション面でサポートするためにビデオ作製関連事務所を立ち上げたやつ。

・デザインが好きで、Tシャツやパーカ、キャップを自作して、自分で若者たちにアプローチかけて、週末のチューリッヒの路面店で1日8万円利益出したやつ。

・カメラが好きで写真コンテストに出したら優勝して、キャノンのセミプロレベルの一眼レフレンズセットをもらったやつ。

・小さい頃からいろんな場所を転々としていて、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語は母国語で、イタリア語・スペイン語・ポーランド語とか普通に話せるやつ。

当時僕の中では高校生は大学受験と部活がメインだと思っていて、このように他の分野に自由に手を伸ばして成果をあげてる人っていう存在がいること自体を知らず、彼らが学校でふざけてる傍でこんなことやってる事実に衝撃を受けました。

留学と言っても、なんだかんだ時間があります。(少なくとも高校留学は)人間、1人の時間が増えると、必要以上にものを考えてしまうものです。

なんとなく、僕も学校とか関係なく、いろんなことをやってみたい。でも何が自分にはできるんだろう?そんなことを考えてました。

 

帰国後

帰国前になると、なんだかんだで帰国するのが楽しみになってきます。帰ってすぐは夏休みだったので何かやりたいなーと考えていたところ、一緒にスイスに行っていた同期の留学生から、あるサマースクールを紹介されました。

それはGAKKOHLABというサマースクール。

どちらもアメリカの超有名大学に通う日本人が立ち上げたサマースクールです。雰囲気とかは見た感じGAKKOの方が気に入っていたのですが、気付いた時にはもう申し込みが終わっていたので、結局HLABに申し込みました。

時差の関係で本当にギリギリにアプリケーションを提出することに。

後から聞いた話、結構倍率が高かったらしいのですが、ひたすらスイスについて書き連ねたアプリケーションは運営している大学生に受けが良かったらしく合格。参加できることになりました。HLABは今後も関わり続けていくものになるので他の記事でまとめて書きたいですが、一つ言えることは、

これまでやばい人だろと思っていた、ハーバードをはじめとする海外有名大学生とそれなりに話せた経験は自分の自信に繋がった」

ということです。

そりゃ日本でもよく見かける東大式とかハーバード式、オクッスフォード式とかの教育を直に受けている大学生と普通に過ごせる訳で、根拠のない自信みたいなものに巻かれててました。今思い返してみると。当の大学生からしたら大したことねえ小僧だと思われていたと思いますが。

なんだかんだ、何もできないのに周りのレベルだけ勝手に上がっていって自意識過剰になっている時代が始まります。

高専3年生

3年生が強いていうならば高専時代で一番つまらない時期だったかなと思います。高専に友達はいないし、高専外の気の合う友達はみんな名古屋ではないところに住んでいたので、そこまでやることがなかった。。この時期に写真を初めてはまって行くのですが、それ以外はこれといって書けるようなことありません。(強いていうならば初めて失恋したとかいうことかな

3年生ではある気づきがありました。それは

俺、情報工学向いてねえ。。

ってことです。3年生になってくると、徐々に専門教科も増えてきて、大学の工学部が習うような内容のこともちょくちょく勉強したりするんですが、テストで点数は取れても根本的に良くわかっていない。っていう違和感がすごくありました。

周りみればとんでもない奴がいたりすることにも気づき始めます。

でも情報工学は嫌いではなかった。ただできない。ってことです。3年生で高校卒業資格をもらえるので、退学してアメリカのコミュニティカレッジからの編入みたいなことも考えていましたが、まだまだプランが抽象的であったこと(つまり本気度が足りなかった)でその計画は実行することはなく、4年生に進級することになります。

留学は高専生活のターニングポイントだったと思います。スイスにいっていなければ絶対ドイツの大学に進学するなんて選択肢はなかったと思いますし、この後またいろんな世界をみることができるHLABの存在すら知らなかったでしょう。

ということで高専入ってから

次は高専後半となぜドイツに行く流れになっていったのかを書いていきたいと思います。

 

それでは第4弾に続く

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