どうもcokeです。
しばらく時間が空いてしまいましたが、高専を振り返ってみるシリーズ第4弾、ラストになります。
これまでの3つはこちらから読むことができます。



高専4年生
3年生が終わり4年生の始まり。1-3年生は通常高校生として扱われますが4年生からは扱いが専門学生とか大学生みたいになります。あとは、授業の選択が結構自由になってきて、10時30分に学校にいけば良いみたい日も人によっては出てくる。そのため、ダレる人と(編入とか就活に向けて)意識高くやってる人の差が顕著に出てくるってイメージでした。
僕はというと、第三弾でちょっと触れたHLABというサマースクールの運営側をやりました。高校生で参加した時には決して見えない部分がたくさん見えてきて本当に楽しかった。
高専生という立場ながら、1人の大学生として、いわゆる偏差値が高いと言われる大学に通う日本人学生や、名実ともにトップ大学に通う海外大学生と一緒にひとつのものを作り上げていく過程で、普通に高専で過ごしていたら味わうことのできない感覚を体験できたと思います。
初めて、どこかの団体が書いてある名刺を手に入れましたし、いろんな大人を巻き込んでやっているプログラムなので、学生だけれどある程度責任のある仕事をやってました。色々ヘマをやらかしたのは事実ですが、本当にいろんなことを学べたなと。
そこで彼らと「仕事」をしたことで気づいたことは、
彼ら偏差値的な意味で頭が良いってだけでなく、人間的に魅力的で素敵な人が多いってこと。頭の良い人の雑談は超面白い。ところどころ知識の多さを垣間見れて、それがまた楽しい。
彼らが勉強している大学に行ってみたいと思い始めるのでした。
あとひとつ、悔しい思いをしたのも事実。
4年生では夏休みに短期の企業インターンシップをすることが推奨されています。(単位ももらえる)
高専に直接インターンのオファーを出している企業もたくさんあって、推薦という形で比較的行けることも多かったのですが、僕は普通の大学生に混じってインターンをしてみたい。という希望がありました。
なのであえて推薦というのは用いず、いろんなベンチャーが開催しているインターンシップを中心に選んでみることに。その夏は8月初めから20日くらいまでHLABの運営があり、9月の上旬からブラジルに行く予定でした。8月の後半からの2週間しかインターンをできる期間がなかったため、ある程度企業が絞られてきます。でも結構有名なベンチャーのインターンがあるにはあったので応募してみることに。(あとコンサルも興味があったのでそちらも挑戦的な意味を込めて)
すると数日後に2つメールが帰ってきました。
「高専生のインターンシップは受け付けておりません。」
普通に悔しい思いをしました。ひょっとしたら僕のアプリケーション読んで大したことなかったから断るってことになったけど、体裁整えるためにこういう返事をしてきた。という可能性も考えられます。
でも学校でフィルターかけられてる感じがすごかった。
「高専は知ってる人からすると過大評価(もちろんピンキリで超優秀な人もいる)されすぎる傾向にあるけど、知らない人からすると、なんだこれ知らない。と評価が2分化する。その差が半端ない」
なんだかんだで学歴社会の一端を目の当たりにしました。
この2つのことから「大学に行こう」と決心しました。(学歴がなんとかで大学決めるのは良くないとも思いますが、すごく悔しかった)そもそも就職目的で高専に入ったわけでもなくずっとなんとなく大学編入しようと思っていたし、親もむしろ大学編入してもらいたい派だったので特に大きな決断ではなかったです。けど大学に行く一つの強い思いが強くなった感じ。
大学どうしましょう
となるとどう大学を選びましょうかってことになっていきます。
大学はもちろん自分がやりたい分野、将来それで飯を食っていきたいと思う学部にするというのが大前提でした。
高専は情報工学科だったので、その分野のことを本当にひろーくそして浅ーく習ってました。個人的にTHE工学(ここでは学問としての工学、原理的な部分)ってのはあんまり魅力を見い出せていなかったんですよね。もちろんそれがあってこそのいろんな応用なんですが、情報技術を使った実用的なサービスだったりとか、他分野との融合みたいなにすごく興味があったのでそういうのに絞って色々と調べました。すると候補に上がったのは、
- 九州大学芸術工学部 芸術情報設計学科
- 筑波大学情報学類 情報メディア創生学類
の2つです。
九州大学に関しては英語と数学、そして筑波大学は英語・数学・情報基礎の編入試験だけで合否が決まります(面接もあった気が)。英語はもともと勉強していて、試しにTOEICを受けてみると高専の中ではそれなりのスコアを取れたので、数学の勉強に絞れば受かる可能性は全然あると感じました。
そして勉強を始めることに。
でもなかなか身が入らない。そしてちょっと過去問を手に入れて、解いてみたところ、
「編入試って結構運な要素強くないか?なんかその一瞬のために勉強するのはいやだ。」
と感じてきたんです。ある程度学力がないと受かる可能性は0だと思いますが、受かる実力があっても落ちるのが受験の事実。特に編入試は大学によってはクセが強かったりするので、その要素が多いなという個人的な分析結果が出されました(笑)。大阪大学受かったけれど筑波落ちたみたいな事例も普通にあるんです。
あーだこーだ理由付けてますが、簡潔にいうと編入試のために勉強ができる気がしなかった、ただの逃げと甘えです。ここで一度他の選択肢はないかと模索し始めることに。スタートに戻ります。
そんな時に出会ったドイツの大学という選択肢
HLAB関連で出会った大学生の比率は自分の感覚だと45%日本の大学、35%アメリカ、15%イギリス、5%その他で構成されていました。なので、アメリカ・イギリスの入試制度をよく知っている人がたくさんいるため直接連絡をとり色々話を聞き始めます。
ネットでも自分で調べていた時に、
「あれれ、、、ドイツありなんじゃない?」
ってなってきたんですよね。
もともと選択肢になかったんですが、急に浮上してきたのがドイツだったんです。ドイツで大学生になることができれば
- ドイツの大学は国ごとの高等教育レベルランキングだとアメリカ・イギリスについで非英語圏ではトップにランクされていることが多い。→教育・大学レベルが高い。もちろん研究も
- 学費が安い。かかるのなんて生活費+保険+6ヶ月毎にかかる大学の登録料(約3万)だけ
- 日本の大学に比べると圧倒的に多様な国から正規留学生が集まっている→普段からいろんな考えに触れられる。
っていうメリットがありました。
加えて僕は条件的には他の日本人の人よりかは有利であったと思います。なぜなら
- 一年間のスイス留学経験があるため、最低限生きられるレベルのドイツ語力はもうすでにある
- 留学経験によりドイツ語圏文化をちょっとよく知っている
- 偶然同じ高専の顔なじみだった2年上先輩がドイツの大学に入ろうと挑戦している(彼もドイツ留学経験があり)
もうこれはドイツに行くしかないんじゃないと思いました。それが4年の冬。
学部からか院から問題
条件的にはかなり魅力的ではあったのですが、そもそも日本人がドイツの学部に留学しているなんて情報がネット探してもほとんどない。あってもちょっと古いのだったり状況が違うってことが多くて自分に適用されないってのが問題でした。
もちろんどこに行くにしても親から金銭的な補助はしてもらうことになるわけで、完全なドイツ大学入学までの道筋を説明しなければ、親にも心配されますよね。(高専卒業後はいわゆる学生身分なしでドイツに行き、無理でした。フリーターで帰って来るみたいなことは避けたい)
高専卒業後すぐにドイツの大学行こうか考えてると話すと、いろんな人にとりあえず日本の大学編入して院でドイツ行けば良いんじゃ?ってことかなり言われました。←親は結構この意見派
でも院からじゃ遅い!って感覚がすごくあった。最もらしい理由なんかないですけど、スイス留学終えた感覚として、すでに遅いのに院からは遅すぎ!みたいな気持ちがありました。
その気持ちにしたがって4年生と5年生の間の春休みにドイツ1ヶ月行こう!と決めました。みんな春休みくらいから本格的に編入試験の勉強始めるのですが、僕の場合は「とりあえずドイツの大学に自分が入れそうなのかを確かめて無理なら、帰ってきて大人しく編入勉強しよ。」って思ってました。
そして向かったベルリン1ヶ月
なんでか知らないけど、芸術とかにも興味があったので面白そう!と思ったベルリンを拠点に1ヶ月ドイツに滞在することにしました。
couchsurfingを用いて1ヶ月、いろんな人(学生やスタートアップで働いている人中心)にリクエストを送りまくって、3日ごとに居候する家を取っ替え引っ替えして、語学コースにも通い、週末ちょっと他の都市の大学も見てみる。みたいな生活を1ヶ月してました。
ベルリンの街好き嫌い別れるけど、僕は好きだ。大学も設備充実してそう。ってな感じで好感触。
そこで更に良いニュースが。1年前にドイツに飛び立った先ほどの先輩に、ドイツの大学から入学許可が下りたよと直接連絡がきたんです。そして高専卒業だったら、ドイツ語の語学証明だけできればドイツの大学に入れるよ。ってことを知ったんです。
「じゃあ、もうドイツ一本で目指して行こう。」
そう決めました。
5年生
案外、行く!と決心してしまうと、それに向かって集中できるもんです。
同期が就職・編入と進路が続々と決まって行く中、卒業の約半年後に最短でもドイツで大学生になる予定だったのでなんとなくのプレッシャーは感じてましたが、もともと学外ではほぼ関わりがなかったのでスルー。
夏にもう一度ベルリンに1.5ヶ月住んで、家探しとかから、ドイツ語の勉強そして大学の情報を現地で集めました。
ある程度道が見えてきて、親も説得できるレベルのプランが完成(ただし当時はうまく行くかは知らない笑)、親も応援してくれるってことでした。
そして、卒業研究などをツッコミどころありまくりな状況でしたがなんとか切り抜けて、ドイツに出発!で今に至るというわけです。
高専5年振り返って
もちろんいろんなこと端折っていますが、今でもちゃんと覚えていることそのまま書きました。
15歳から21歳まで(本当は同期は20歳で卒業していたんですが、留学分1年学年落としてたのでトータル6年)同じ学校に所属するってよく考えるとすごいですよね。小学校と一緒やん。
しかも思春期と言われる年齢は本当に多感な時期で周りから影響受けまくりだったわけで、
「高専入らずに普通高校入ってたら。。横浜にそのまま住み続けていたら。。」
みたいなことをよく考えていたものですが、おそらく高専に行かなきゃ留学もこんな簡単に行けなかっただろうし、留学いかなきゃここまで学校関係なく世界中いろんな人と知り合ってなかったんじゃない。って素直に思います。
単純に敵を作りやすいタイプだったということと、(それも原因で)学外にここまで繋がりを広げてる人ってのは高専生にしては珍しい方じゃないかなって。
いわゆるザ・高専生とはかけ離れていますが、中学卒業後から他の高校生よりかは自由になれる高専の特権をよく使えた5年間ではないかったかなと思ってます。
結果的には高専でこれまでの6年間過ごせてよかった。